ゆこ日記

君の笑顔が 今を創る

担降り決意表明

「何気ない仕草やその笑顔に 気がついたら惹かれていた そして君に恋をした」

このワードが全ての始まりでした。

私はパステルの歌詞通りに、純情・愛情が交互に揺れて時に慎重・大胆モードにもなりましたが、街路樹ならぬ自身の想いや葛藤を抜けてようやく君に会いに行くこと、つまり「担降り」を決意しました。ジャニヲタ文化の一つである担降りなんて勝手に一人でやってろってものなんですけど…私自身この今の気持ちを忘れないためにも、ここに至るまでの経緯をつらつらと、ド下手な日本語でやっぱり一人で勝手に書いていきますので、ただのしがないジャニヲタの戯言だなあと思って聞いてやってください。


一応ジャニヲタ遍歴を記載しておくと、
KAT-TUN 赤西担(2005〜2011)
関ジャニ∞ 横山担(2011〜2015)
という感じです。


最初にHey!Say!JUMPをちゃんと認識したのは、今年の3月に友人に見せてもらった去年のコンサートツアーsmartのLIVE DVDでした。
まず、DVDを見て真っ先に目が行ったのは中島裕翔くんでした。以前から裕翔くんに対してはただ「顔が美しい人」ということだけを認識していた私は、彼を知れば知るほどその美しさと共に非常に愉快で天真爛漫な明るさを持ち合わせていて、まるでそこに居るだけで周囲を照らす太陽のような存在なんだということに気づき、そしてその明るさは周囲の人たちを喜ばせたい一心からくるものだと知ったことが裕翔くんに惹かれていったきっかけでした。裕翔くんは、周りの人を笑顔にしたいという気持ちで真っ直ぐ頑張る人なんだなあって胸が温かくなりました。

そしてその笑顔の裏で、様々な苦悩や葛藤を抱えていたことも知りました。そんな自分から逃げることなく真正面から向き合い、乗り越えてきたからこその今の彼があることもわかりました。10年前、初めてザ少年倶楽部で見たまだ幼い子供で純朴な可愛らしい男の子は、いつの間にか凛々しくて強く、優しい青年へと成長していたことに驚きを隠せませんでした。

そんな風にして裕翔くんに、そしてHey!Say!JUMPにあれよあれよと転がり落ちていき、すぐにシングル・アルバムを全て借りて聴き込み、これまでのコンサートDVDを買い集め、過去の映像を漁り、テレビ番組を毎週チェックし、一度は卒業したはずのアイドル誌を毎月買うことを楽しみにしている自分が居ました。新規の醍醐味過ぎますね、とてつもなく楽しかったです。そして気づけば、今回のコンサートツアーJUMPing CARnivalの大阪公演に入ることになり、初めてJUMPをこの目で見に行きました。公演後、酔って友達にJUMPが好きすぎると喚いて大号泣している自分が居て(大迷惑すぎるごめんなさい)ああこれはもうJUMPにどうしようもなく惹かれている自分を認めないわけにはいかんなと。何に対してあんなに泣いたのかよくわかりません。だけど後にも先にもあんなにコンサートが終わって泣いたのは初めてで、とにかく心が揺さぶられたんだと思います。

しかし私は、どうしても関ジャニ∞からHey!Say!JUMPに降りるという決断を下せずにいました。3月にJUMPを好きになり、ずっとどうしようか悩んできて、もはや誰が見てもわかるくらい気持ちがここまで動いているのに何故か降りきれない。自分の足で、この目でJUMPを観に行ってこのどうしようもなく好きだという気持ちまで確信していたのに。


Hey!Say!JUMPを好きになりきれないから?そうではありません。関ジャニ∞に想いがまだ残っているから?実はそれが迷いのタネというわけでもありませんでした。関ジャニ∞を嫌いになったわけでもなかったです。むしろ大好きなところは増えるばかりで、きっとこれからもずっとずっと好きだと思う。しかし正直気持ちは完全にJUMPに向いていました。もはや掛け持ちしてみたら?と助言していただいたけれど、私に掛け持ちという選択肢はどれだけ考えても絶対に無かったんです。何故なら、気持ちを一点に注ぐしか私の性格上これまで出来なかったからです。そこだけは譲れなくて。ならば降りる降りないを決定付けるしかない。でもそれが出来ない。


ここまで惹かれているのに決断に踏み切れなかった原因。
それは、これからもう一度「新規」という立場になって足を踏み出す勇気がなかったからでした。JUMPは平均年齢が若いとはいえ、既にデビューから8年が経つというベテラン選手であり、私はファンとしてその大きなブランクをもう一度経験し、追っていく自信が到底無かった。

というのも、私自身、エイトを8周年から本格的に好きになり始めた立場で、正直ファンになった時には既に関ジャニ∞の歴史は私にとって計り知れない程、膨大なものでした。知れば知るほどわからないこと、知らないことが私の目の前に立ちはだかりました。それを知っていく楽しさ嬉しさはもちろんありましたが、それ以上に昔から応援してきたファンの方々とエイトとの関係に追いつけないこと、絶対に埋められない時間や歴史や思い出がいつだって邪魔をして、どんどん自分で自分の首を絞め、苦しくなっていきました。そんな考えても仕方ないことばかりが気になってしょうがなくて、気づけばエイトを好きでいることを義務付けていてしまった自分が居たんですね。「好きでいなくちゃならない。」という自分勝手な劣等感や嫉妬や僻みを通しての感情でしかいつの間にかエイトを見れなくなっていた。自分の素直に「好き」という気持ちがわからなくなる次元まできていました。これは本当に私自身の問題です。関ジャニ∞に全く非はありません。本当にごめんなさい。


だからこそ、踏み出すのが怖かった。こうして素直に惹かれている気持ち、好きだという気持ちをまたこれから徐々に失うのではないか、また同じように勝手に自分で苦しい思いを生み出してしまうんじゃないか…


だけどふと目を瞑り、JUMPの事を思い返してみれば、JUMPはそんな私の薄暗く曇った心を明るく照らすかようにいつでもキラキラと輝いてくれていたんです。


今回のツアーに参加するにあたって、パンフをしっかり読み込んでから入ろうと思っていて。読み返していて気づいたことは、全員本当に忙しい中、たくさん色んなことを考えてこのツアーもアルバムも作ってくれてたんだなってことや、ファンのことを第一に考えてくれてる子達なんだなあということでした。愛おしさでいっぱいになりました。ちゃんと一人一人色んな角度からしっかりした核を持っていて、それでもファンを楽しませるために、という一本筋は全員統一して揃っていて。何より全員が同じ方向に向かっていこうとしてるのが伝わるんですよね。現状に甘んじてない。どんどん前に行こうと、上へ行こうとしてる。勝負の年、過渡期……そう本人達が口々に言うほど、一番気合いを入れて飛び立とうとしてる今この瞬間に立ち会えることがとてつもなく嬉しくて。

また、大阪公演に入って、裕翔くんがアイドルとして完璧に生ききってる姿を初めてこの目で拝見させていただいて、裕翔くんは全身全霊を込めて会場の隅から隅までに愛が行き届くようにと自分の持っている力を全て出す人なんだって知りました。今、表現できることは全てやり切る人。特にそれを感じたのはラストのVery Very Happyで誰よりも身振り手振り大きく手を差し伸べたり指を差したりして、そして自分のソロパートをあんなに優しく丁寧に心を込めて歌い上げて…何より最後には誰よりも一番深くお辞儀をして会場全体みんなに伝わるように会場を指差しをしていました。ああこれが裕翔くんのアイドルとしての生き様なんだなと。

全員でのパフォーマンスを見てもJUMPはもはやここまで大成してるのかと驚き、向かう所敵無しのようでした。本人達からも本気と向上心しか感じられない。

「さあ行こう この壁の向こう 越えていくだけ」
「きっと僕らには限界なんてない」

まさに今の彼らが歌うべき歌詞ですよね。本気で歌い踊る彼らを見て、今のJUMPには不可能なんてないし、越えていけないものもないんじゃないか、きっとこれからどこまでも前に進んでいくんじゃないかと全身が震えて。JUMPのこれから創り出す未来はきっと迷いが無くて希望に満ちてるんだって確信させられました。


Hey!Say!JUMPから、過去を感じない。未来しか感じられない。そんなこれから先の未来に繋がるこの「二度目の平成元年」にこうして巡り巡って居合わせられたことに感謝と喜びしかなくて。
最近では24時間テレビに向けて様々な媒体で宣伝活動を頑張りながら、一方で新レギュラーとして冠番組も始まり、自分達の番組を盛り上げようといつも全力で仕事をしていて、そしてそんな超多忙な中でもあんなにファンを喜ばせるために考え尽くした最高のコンサートを作り上げてきてくれて…


こうしてJUMPはいつだってこんなにも真っ直ぐひたむきに全力で頑張ってステージに立ち、ファンの前に居続けてくれていました。そんな人達に対して私はこんな燻った気持ちを抱いていていいのか。いいわけないですよね。

そして先日発売されたJUMPが表紙の日経エンタテイメントの全員での対談で最後に有岡くんが言っていた言葉が、私の中での最後の一押しでした。

「最近になって新しく知り合ったスタッフの方がたくさんいるんです。もちろん新しいファンとの出会いも。10周年を迎える時に『ありがとうございます』と言える人をどんどん増やしていきたいですね。‘‘この2年で”。」

ああ、こうしてちゃんとメンバーはわかってくれてるんだなと。私もファンの一員として応援させてもらってもいいのかなあなんて、この有岡くんの一言で思う事が出来たんです。やっと。
ちゃんと真っ直ぐ、私の想いを大事にしてJUMPに向き合いたい、応援したい…という気持ちが生まれていきました。驚きました。こんな感情いつぶりだろうって。そして結局は自分次第なんだってことに気がついたんです。自分とJUMP、そこをまず大切にしないと始まらないと。自分で勝手に抱いた嫉妬や勝手に作り上げた苦しさとか、そういう自分の弱さや脆さで曇った心の鏡であんなに真っ直ぐ頑張るJUMPを見ちゃいけない、本当に大切な事を見れるものも見れない、何よりも、そんな彼らに失礼だし申し訳ないと思ったんです。


そうした中、もう一つ生まれた感情、それは、ファンとして応援される側じゃなくて、応援していく側になりたいと思うようになっていきました。
今までの私は、関ジャニ∞を好きになってから4年間ずっといつもいつも背中を押してもらってばかりでした。彼らにどれだけ救われてきたかわかりません。日々の生活が苦しい時、辛い時、関ジャニ∞がただ笑ってくれていることが私の心の支えでした。

だけどHey!Say!JUMPに出会って、同年代である彼らがただ上に向かって全員で頑張る彼らの姿を見ていたら、これまで自分が抱いたことのない想いが生まれていることに気がついたんです。自分と同じ世代である彼らがこれから歩いていく未来を見つめて、応援していきたい。そして裕翔くんが進んでいくであろう色んな道を全力で応援していきたいという気持ちが、何よりも勝っていたんです。



こうして自分の気持ちに正直に向き合った時に

「Hey!Say!JUMPを自ユニとして、中島裕翔くんを担当として応援していきたい」

という一つの答えに辿り着きました。そしてようやく今こうして担降りを決意するに至りました。


いや、長すぎましたね。これが全てです。


まだまだJUMPのことも裕翔くんのことも知らないことだらけで、こうして決意したもののきっとこれから先、また私の弱い心が顔を出して悩んだりすることも勿論なくはないなと思うんですけれど…それ以上にJUMPを、裕翔くんを真っ直ぐ見つめて、愛して、応援していけるファンになっていきたいです。



関ジャニ∞を好きになって出会った大切な友人が沢山います。今回担降りを考えるにあたって相談に乗ってくれたのは、そんな関ジャニ∞を通して出会った友人の方々でした。みんな本当に優しくて温かくてこんなしょうもない私の悩みを真剣に聞いてくれて。ただただ感謝でしかありませんでした。関ジャニ∞が居てくれたから出会えた人たちばかりで…本当に全てが大切な出会いです。だからこそ関ジャニ∞から離れることはとても寂しい部分もあるんですが、関ジャニ∞が繋げてくれたこの縁を、かけがえのないものとして心から大切にし、そしてこれから出会うであろう人たちとの縁も大切にしながら、ドドドド新規のJUMP担として0から歩んでいきたいなと思います。


関ジャニ∞は、本当にたくさん私に元気をくれました。たくさん初めての気持ちや経験をくれました。(彼氏か。)
私が最も苦しかったこの4年間、あの人達の笑顔に本当に数え切れないほど救われてきました。私にとって関ジャニ∞が生きる希望でした。ここでは書き尽くせないくらいなんですけど……。
きっとこれからも関ジャニ∞は、もっともっとたくさんの人達に元気と勇気を与え続けていくであろう「間違いない」グループになっていくんなんだろうなと思います。本当に本当に、たくさんの幸せを、喜びをありがとう。これからの活躍も自ユニ、担当としてではないけれどとっても楽しみにしています。



担降りブログって本当に自己満で、自己顕示欲の塊でしかなくて、書いてる途中これ後で読み直したら最強にキモチワルイんだろうなと思ったし読み返したらやっぱり最強にキモチワルかったし、たかが一ヲタクの担降りなんて知ったこっちゃねーわなと書き終わった今自分でも思うんですがw
だけど、スッキリしました。本当に支離滅裂だけど書けてよかった。1つの区切りをつける事ができた気がします。

最後に、ここまでこんなにポエマー臭満載の私の自己満決意表明を読んでくださった貴方に心から感謝申し上げます。本当に本当にありがとうございました。そしてこれからもよろしくお願い致します。